ディナーの前後に
夜のグラン・ビアとスペイン広場
ディナーの前後に組み込めるマドリードの2大名所、グラン・ビア、スペイン広場、セルバンテス記念碑を、ウィキペディアの記述とともに簡潔にご紹介します。
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スペイン広場はグラン・ビアの西端を締めくくる場所にあり、セルバンテス記念碑はその広場の中央に立っています。どちらも3時間のディナーの前後に散策するのに最適です。レストランはモンクロア=アラバカ区にあり、その地区のアルグエジェスは広場に隣接しているので、夜の予定を立てる前に地図で徒歩時間を確認しておきましょう。
スペイン広場
ウィキペディアによれば、この広場はマドリード中心部にある大きく人気の高い観光地で、グラン・ビアはここで終わります。約2年半の改修工事を経て、2021年11月22日に歩行者向けに再オープンしました。中央にはミゲル・デ・セルバンテスの記念碑が置かれ、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像の前に広がる長方形の池は、スペインの首都を代表する最もよく知られた眺めのひとつとなっています。
セルバンテス記念碑
この記念碑は広場と同じ時期に造られ、彫刻にはセプルベダ産の赤い石が使われています。座したセルバンテスがドン・キホーテとサンチョ・パンサの像の上に位置し、ドゥルシネアとアルドンサ・ロレンソは後から加えられました。植栽の中心はオリーブの木で、小説のラ・マンチャの野原へのオマージュとなっています。ディナーの喧騒のあとに数分間立ち寄るのにふさわしい静かな場所です。主役はやはり像です。上にセルバンテス、その下に彼が生んだ最も名高い二人の登場人物が、池を見渡すように立っています。
グラン・ビア
グラン・ビアは、シベレス広場に近いアルカラ通りからスペイン広場まで伸びています。ウィキペディアはこの通りを「スペインのブロードウェイ」と呼び、20世紀初頭のリバイバル建築のショーケースと評しています。計画は1904年に承認され、1910年に着工、最後の区間は1929年に完成しました。多くのホテルが並ぶ、市内有数のショッピングストリートです。
街をめぐるサルスエラ
この街は、最も愛されたサルスエラの一つにその名を与えてもいます。1886年の『ラ・グラン・ビア』は、ヘネロ・チコの傑作であり、ウィーン、パリ、ロンドンでも上演されました。サルスエラの歌の夕べを楽しんだあとに実際の街を歩けば、物語は一つの輪を閉じます。音楽は、その音楽が讃える大通りよりも古いのです。このサルスエラの曲目は当時の舞曲——ポルカやワルツなど——でしたから、この街が後にまとう華やかさは、たった今耳にした歌とは別の時代に属しています。
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デボド神殿
マドリードのオエステ公園、王宮の近くに、エジプトの神殿が立っています。紀元前2世紀初頭にヌビアで建てられ、1968年にエジプトからスペインへ寄贈され、1970年から1972年にかけてマドリードで再建されました。ウィキペディアによれば、エジプト国外で見ることのできる数少ない古代エジプト建築の一つであり、スペインでは唯一のものです。
広場を取り囲む建物
ウィキペディアは、広場のそばにマドリード有数の高層建築であるマドリード塔とエスパーニャビル、そしてアール・ヌーヴォー様式のガジャルドの家を挙げ、これを市内における同様式の注目すべき例と評しています。王宮は広場のすぐ南に位置するとしています。見学を希望する建物があれば、出かける前に開館の取り決めを確認しておきましょう。
こんな方には向きません
マドリードで過ごす夜がこのディナーだけなら、乾杯のときまで席に着いていたほうがよいかもしれません。3時間を経て疲れているなら、散策は省きましょう。また、このページには開館時間の記載がないため、どの記念物についても、ご自身で確認せずに開館時間を前提とした計画を立てないでください。
よくあるご質問
グラン・ビアはどこからどこまで続いていますか?
シベレス広場に近いアルカラ通りから、エスパーニャ広場まで伸びています。ウィキペディアは、これをスペインのブロードウェイと呼んでいます。
エスパーニャ広場はラ・カスタフィオーレに近いですか?
このレストランはモンクロア=アラバカ区にあり、そのアルグエジェス地区が広場に隣接しています。徒歩時間は地図アプリで確認してください。
プラサ・デ・エスパーニャの中央には何がありますか?
ミゲル・デ・セルバンテスの記念碑で、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像の前に池があります。周囲の景観はオリーブの木が主体となっています。
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